|愛育ねっとトップページへ戻る |解説コーナーバックナンバー|


解説コーナー 
2003年9月


 小児科医からみた子育て不安への対応
−育児相談の実践を通して−


中村 敬

(大正大学人間学部教授/日本子ども家庭総合研究所部長)


<はじめに>
 子育てを取り巻く社会環境は、少子化の進行にともなって、さまざまな問題を投じている。親が子育てのストレスから子どもを虐待するに至ることもあり、子どもに接したことがない母親たちが子育てをスタートさせるわけであるから、実際には長いスパンの子育てを乗り切るためには、かなりの覚悟いる。しかし、多くの母親たちは決して覚悟ができているわけではない。「予想はしていたが、こんな大変だとは思わなかった」という言葉をよく聞く。しかしながら、多くの母親たちは「大変だけれど、わが子を育てる喜びには格別なものがある」と言っている。子育ては決して苦しみの連続ではなく、子育てのストレスはストレスとしてしっかり受け止め、子育ての楽しさを見いだすというストレングズの視点を養うことが大切である。今回は筆者が日頃行っている子育て相談の実践事例を紹介して、医師としての育児不安軽減に向けた取り組みについて私見を述べてみたいと思う。
<子育て不安への対応のあり方>
 医師や医療・保健に関係する職業は、クライアントに与える影響力が大きいということを事前に知っておくことが肝要と思っている。その上で、医師や医療・保健関係者が行う子育て不安解消に向けた取り組みについて述べてみたいと思う。その前に自分自身の紹介をしておく。現在は社会福祉学の学科で保健を教え、日本子ども家庭総合研究所で情報部門を担当しているが、かつては新生児集中治療室に勤務し、地域の小児科医療にも従事してきた。現在は、大学で教鞭をとる傍ら、地域の子育て支援センターのフリースペース、子育てグループやネットワークなどの地域住民の活動にボランティアとしても参加し、子育てに関するアドバイザーを務めている。こんな前提でご一読いただければ幸いである。
 私が日頃感じている、子育てアドバイザーとしての小児科医の姿勢について私見を述べる。

1) 名医というより気さくで、親しみやすい地域の医師がよい。
 一般にクライアントからみた名医とは、診断に誤りがないこと、医師の予測どおりに事が運ぶこと、技術(一般診療における)がいいこと、などであり、学問的価値や高度な医学的見識を求めてはいない。つまり、理解しにくい医学的内容を、わかりやすく伝えることができる技術、クライアントのこころがわかる人間味のある医師が求められる。決して優れた自然科学者である必要はないと思う。

2)カウンセリングのスキルを身につけている。
 クライアントが医師にものを尋ねるとき、こころの中では「不安や恐れ」を持っている。それは、医師という立場が、気さくに人を近づけにくいという面があるためである。「こんなことを聞いてもいいだろうか」とか、「もし、自分の心配していることが的中したらどうしよう」とか、いろいろな理由がある。
 親たちは、こんな心境でいるので、医師は悩みを聞いて共感を示すことのできる技術がなければ、応えられない。医師には単に医学的な事実を告げるのではなく、相手のこころの反応を計算に入れた適切な応答が求められる。
 一つ事例を紹介する。1歳半健診を受診した女児の例であるが、そこで、担当の医師から「お母さん、この子の体の中心線が狂っていること知っていますか。将来注意をしなければいけません。」と告げられた、とこの母親は話していた。一人歩きが遅れていたこともあり、突然の指摘にずいぶんと悩んだと言っていた。この児は脊椎の側湾というのでもなく、子どもの陰唇の左右差が大きいだけで、他の異常は認められないと私は思うのだが、親の心配はなかなか払拭できなかった。それは、専門家である医師の言葉だったからだと思う。結局、私が相談を受けた時点では歩行が可能になり、遅れの心配が解決したことで、親の不安は軽減されたが、指摘された事実はしこりとして引きずることになった。
 医師の指摘が育児に与える影響は大きなものがある。しかし、こころある医師によって悩みが払拭され、育児における不安が軽減されるケースが多いことも事実であり、これからの小児科医の役割は大きい。ここで、一昨年、実施したかかりつけ医に関する全国調査(「愛育ねっと」2002年9月解説コーナー参照)で、かかりつけ医に何を求めるかいくつかの項目を設けて質問してみたが、その結果は、因子分析を行うと、「厳しいが思いやりのある医師像」を求めていることがわかる。しかし、現実問題として、かかりつけの医師に子育ての悩みを相談している親は少なく、病気の治療を求めることにとどまっている。総合的にみると、医療機関のスタッフも含め、パソナリティーの良さが第一の条件と言えよう。親の不慣れな育児を叱咤するのではなく、親の育児を肯定し、その成果を認めることが育児不安軽減のための一番の良薬と考えられることである。しかし、メリハリのあるしっかりした対応も求められるようである。
 子育て不安に関する定義は必ずしも一定ではないが、育児不安は2つの心の状態があると言う。一つは「育児への自信のなさ・心配・困惑・母親としての不適格感」であり、もう一つは「子どもへのネガティブな感情」で、子どもに対する嫌悪感を表す。
 私が育児相談をしている現場での事例を紹介する。「新生児期の先天代謝異常症のスクリーニング検査で、甲状腺機能低下症の検査が再検査になった事例」で、再検査の意味はよく説明されており、結果的に再検査は陰性となった。両親とも、このことは理解はできている様子なのに、母親の頭の中から、再検査になった事実が抜けきれない。子どものいろいろな仕草がすべて、先天異常と関係するのではと不安を募らせる。こうなると病的としか言いようがない。このケースは父母とも高年齢で初めて授かった子どもであり、子どもは宝物にも勝る宝物という存在である。しかし、心配が重なり、子どもの仕草など、すべての行動をネガティブに受け止めて不安へと結びつけてしまう。そこで、相談者としては子どもは順調に発育しており、両親の子育てがうまくいっていることを、ことさら褒めることに徹し、「もうこんなことができるようになったのですね。」「ご両親の愛情が深いから。」と、子どもの発達が順調であることを強調することにした。これで、健診後しばらくはもつのだが、また、新たな心配が生じ不安にかられるというパターンが繰り返される。そこで、次の手段として、次の私のクリニックまで待てそうもないのでメールでの相談に応じることにした。この両親とも些細なことにこだわる性格で、子どものことだけでもなく、自分の両親のことなども心痛の種になっているようであった。メールでは子ども以外の悩みの相談も送ってくるようになり、私とのメールの交換で癒されている様子であった。負担は大きいが、気楽な相談相手の役割をしばらく演じ続けた。最近はメールを送ってくることも少なくなり、不安から離脱できたのかもしれない。

3)人に安心感を与える雰囲気づくり。
 医師は雰囲気が大切と思う。安心して話せる、人を包み込むような懐の深さが求められる。やさしさをたたえた雰囲気というものが求められる。子どものことで心配を抱えている親は医師という専門家に正面から向き合うと、つい気後れがしてしまう。どういう審判が下るのか、おどおど、どきどきしている。私は、クリニックで個別対応もしているが、フリースペースでワークショップのような対応がいいと思っている。私は「広場の小児科医」を名乗って、出店を構えている。元来子ども好きなので、まず子どもが寄ってくる。すると、親たちも一緒に寄ってきてくれる。そこでたわいない話に紛れて、アドバイスができる。こちらからいろいろ根堀り葉堀り聞くことはしないことにしている。親の話の進め方に合わせて、疑問点について質問しながら情報を収集する方法をとっている。最後までプライバシーに関する十分な情報が得られないこともあるが、診察室での診療ではないので次の機会に回すことにしている。やはり、触れたくないことや、相手が医師でも隠したいことがあるのは当然であるからと思っている。深刻な相談のあるときには、別の部屋か別に個別対応の時間を設けることにしている。

4)人のこころを大切にする。叱咤激励は逆効果。
 子育てに悩んでいる親を叱咤激励するのは逆効果である。まず、共感することであり、「よくやっているではないですか。」、「気持ちはよくわかります。」など、親のもっている思いを肯定的にとらえることが大切である。人は自分を理解してくれる人を信頼するものであり、信頼関係の樹立が基本である。よく、専門家は「指導する」という立場をとるが、科学的に正しい知識を伝達しただけでは、不安を和らげることはできない。親のこころを開かせる努力をしないで、単に知識を一方的に押しつけることは避けなければならない。

5)治らない病気を無理に見つけないこと。告知したら、必ずフォローすること。
 医師という職業柄、病気や異常を見つけたがる人もおり、これが、自分の技術の高さを示す方法だと勘違いしている人もいる。私は、これは全く無意味と思う。発見して意味があるのは、早期に発見して治療することにより治る病気である。私は、親が心配している事柄については科学的な事実をわかりやすい言葉に換えて説明するが、あまり重要でない異常を、親が気にしていない、あるいは気づいていないものまで洗いざらい見つけて告知することはしない。しかし、しっかり認知しておいてもらわないと困る異常については、科学的な根拠をもとに説明し、その後のこころのケアに力を入れる。つまり、支えなしに悪い知らせを伝えるのは酷であり、崖から突き落としたら、崖下で受け止めるネットが必要であるということである。この件に関して一つの事例を紹介すると、生後2カ月の男児であるが、目の動きが気なるという親からの訴えで、診察したところ、光には反応を示すが、眼球運動が異常で、ゆっくりと不規則な運動を繰り返している。固視はなく、追視もみられない。視力障害を疑い小児眼科を紹介したが、目の構造上の異常はないとの結論、眼科から小児神経科を紹介され、現在精査中であるが、MRで脳室の拡大が認められ、将来、発達の遅れが予想されるとの説明が担当医からあった。親にとっては悪い知らせに他ならない。日常の問題は私が相談役を担うことで、親のこころの拠りどころを用意して見守ることにしている。
 しかし、私もときどき、過去の嫌な経験から、重要な事実を性急に告知してしまうことがある。それは、こんな事例の経験からきている。私は、異常に気づいていない親に重大事を告げるには、それなりの準備期間を設ける必要があると常日頃思っていた。この事例についても、もう少し信頼関係を高めてからにしようと告知することを躊躇して、次回の来院時にすべてを用意した上で告知をと思っていた。ところが、途中に保健センターで行われた集団の乳幼児健診が加わり、その場で声高に異常が指摘されて、私の見落としと非難された。幸いにも親との間に信頼関係ができており、慌てて私のところへ飛んできてくれたので、事実を話し、その後の対策を立て、継続的にケアすることで逆に感謝してもらえたという経験がある。
 こんな例もある。それはダウン症で生まれた子の母の告白である。生後約1カ月のとき、生まれた病院で染色体の検査の結果ダウン症候群ということを告知された。しかし、その後は何の支えもなく、救いの手は差し伸べられなかった。どうしたらいいのかわからず、どうなるのかもわからず、ただ、知能発達が遅れること、心臓疾患があって将来手術が必要になること以外には何も伝えられずにいたが、地域の同じ悩みをもつ親のグループに加わり、最近やっと前向きに育児をする気持ちになった。この例は、担当医師が障害児という事実を伝えたのみで、その後の支えをしなかった典型的な事例である。自助グループの紹介や健診を兼ねた定期的なカウンセリングが不可欠である。

6)自分の哲学を押しつけない。しかし、子どもに実害が及ぶ誤った情報は訂正すること。
 子育てはこれが正しいという方法はない。もちろん、子育てには科学に基づく部分もあるが、科学以外の部分で、医師個人がもつ哲学を押しつけてはいけない。これは、医師に限った話ではなく、すべての子育て支援者に言えることである。できるだけ母親の思いに応えることが必要である。例えば、産院で子どもを産んだ後の母親は、母乳で子どもを育てたいと思っている。1カ月健診で、体重の増加がよくなかったからといって、安易に人工栄養を取り入れるなどは母親の意向を無視している。ミルクを加えた方がいいと言われて悲しい思いをした母親は多い。私が個別健診を頼まれている産院で経験した事例を紹介すると、「あ〜よかった。もしかしたら、ミルク加えましょうと言われるかもしれないと、どきどきしていました。昨日は無理して、母乳たくさん飲ませたんです。先生によっては、母乳が足りません、足りない母乳を吸わせるのは赤ちゃんにとって、よくない事ですとおっしゃることもあると聞きましたので。」という発言からもわかるように、母親として、わが子を母乳で育てたいと思うのは全く自然な感情であり、母乳栄養を希望する母親に対して、母乳栄養を支えるシステムが必要であると思う。母乳の分泌が安定するのは生後2カ月であり、生後1カ月では母親の気持ちを大切にして、子どもの体重増加のみを目安にしないで育児指導をする必要がある。
 こんな極端な例もあった。「風邪で、近くの○○先生のところへ行きました。そのとき、主人が子どものおむつを替えてくれたのです。私の家では当たり前のことで、主人も喜んでやってくれています。でも・・・先生に叱られたのです。」「夫に子どものおむつを替えさせるような母親では、まともな育児はできませんよ。この子は可哀想。」と言われて、かなりのショックを受けたようだった。これは、あまりにも時代に逆行した発言であり、自分の哲学を押しつけてはいけないことのよい例である。
 育児中の親たちは、様々なことを仲間やグループ活動の中で情報として得ている。しかし、科学的に誤った情報として信じていることがあり、これを正すかどうか迷うことがある。誤った情報のために子どもに実害が及ぶ可能性があれば、早いうちに訂正しておく必要がある。しかし、とくに実害はないが科学的に誤りというだけでは、私は訂正はしない。例としては、「先生! この子湿疹がひどくて、友達の子どもにも湿疹のひどい子がいて、石けんで洗ったら、かぶれがますますひどくなったと言ってました。だから、この子石けん使っていないのです。」などはときどき聞かれる話である。もちろん、石けんが100%安全かというと答えにくいが、真っ赤に爛れたような皮膚をしている子どもをみると、つい、「石けん使って皮膚をきれいにしてあげて、石けんが駄目というのは間違い!」と叫んでしまった。またこれは、私のゼミの卒業生からの質問であるが、「『喘息の子どもと同じ箸で食事をしてはいけない』と言われたが、根拠は何か。」というものであった。正直、どうしてこんな内容の情報が伝わっているのか理解できなかったが、一部の人たちに信じられていたらしい。全く根拠のない情報であることは容易に理解できるであろう。この2つの情報とも子どもに実害を及ぼす可能性が高いので、専門家として、訂正したことは言うまでもない。
 
7)独り言を言わない。
 診察中に、独り言を言わないことが大切である。「おや?」、「はて?」、「これは?」、「何だろう?」などの疑問を表すことばは禁物で、私自身も大きな失敗をしたことがある。なにげない独り言によって、親たちは後で不安がつのってくるからである。専門的な知識を持つものならナンセンスと思うような事柄も、素人の親たちは真剣に考えてしまうことがある。私の失敗例では、胸部に聴診器を当てながら、「あれ?」と、つい言ってしまった。実際には心雑音があり、機能性雑音と考えていいものか、器質的心雑音なのか迷ったときのことである。私の頭の中をよぎったのは、循環器科へ紹介状を書こうか、どうしようかという考えであった。親は「何か異常があるらしい」と察知したらしい。私の方は、経過をみようと判断したため、親には何も告げなかった。これが、後日災いして、約束の日より早く次の健診に訪れた。「何か心配なことがあったのですか?」と聞くと、「先生! ほんとうのことを言ってください。私、何を聞いても驚きませんから。」、これには、私の方が唖然として、何のことかわからず、聞きただしたら、「先生! この間『あれ?』っておっしゃったでしょう。でも、何も説明してくれませんでした。私には言いにくい重大な問題があると思って、夜も眠れなかったんです。」と、これにはびっくりした。本人も忘れていたような独り言だったが、こんな大きな波紋を投げかけていたとは考えてもみなかった。
 医師や専門家のちょっとした言動に、セカンドオピニオンを求めてくる親が結構いる。「○○先生にみてもらったら、おやっと言って首を傾げたんです。心配で・・・。」などの例は少なくない。

8)専門家は正直であること。
 専門家、特に医師は神様ではない。したがって、誤りが全くないとは言い難い。しかし、誤りに気づいたときには、正直になるべきであると思う。一つの事例を紹介すると、 生後3カ月で、体重は6,700gと体重増加はいい子ども、栄養は母乳栄養で発達もよく、大柄な子どもである。私の判断では正直なところ何の問題もない。
 あるとき、私のクリニックで、「全く順調ですね、お母さん子育て上手ですよ。」と告げたところ、怪訝な顔をして、「ほんとうに順調なんでしょうか。」「先生、何か隠していらっしゃいませんか。」と返してきた。正直なところ、私の方がびっくりして「どうしてですか?」と聞き返した。「実は・・・」で始まった話に私もびっくりした。「この子心臓病なんです。心臓に穴が開いていると言われています。この子体重が大きすぎて、心臓に負担がかかり危険なので、母乳減らしてくださいと言われています。どうしたらいいでしょう。母乳を減らす方法を教えてください。それから、心不全になるといけないから、薬を飲むように言われて、2週間に1度通院しています。」このケースには心雑音もなく、心臓病を疑わせる徴候は何もない。そこで、問題を整理してみると、どうやら、軽い心雑音(機能性雑音)を問題にされて、超音波診断を受けさせられたとのことであった。その結果、心臓に穴が開いている(心室中隔欠損)と診断され、飲ませすぎは心臓の負担になる。体重が大きすぎるのは心臓に悪いので、母乳を制限するようにと指示された。体重増加は浮腫が原因であり、薬(ラシックス)を使って浮腫をとらなくてはならないという説明であった。正直なところ、「そうですか、主治医の先生の指示に従ってください。」と言えば、私は楽になるが、そうはできない。小児循環器の専門家に紹介をして、診断を確認してもらおうと思ったが、この母親曰く、「近くに、子どもをみてくれるお医者さんがいません。この先生の感情を害すると急なときにかかりにくくなるので・・・。」と消極的。そこで、一計を案じた。母親に、その医師を受診してもらい、こう言ってもらうことにした。「3カ月児健診を受けましたら、心臓の雑音は聞こえないと言われました。この子の心臓病は治ったのでしょうか?」「薬はまだ飲む必要があるでしょうか?」
 結果は、「雑音は確かに小さくなった。穴はほぼ塞がってきている。薬で浮腫がとれ、心不全がよくなったからでしょう。治療がうまくいきました。」、「せっかくよくなったので、薬はもう少し飲んでください。」という反応。母親の気持ちを汲んで、急なときにお世話になっている、ある意味では気さくないい先生とのことなので、心臓病という診断は否定しないで、経過をみてもらう(ダブルで私のクリニックへも通院する約束)ことにして、利尿剤は黙って止めてしまう、ということで経過をみた。最近では(生後6カ月)、心臓病は治癒した、薬も止めていいと言われているとのことであった。
 このケースでは、いろいろな事を考えさせられる。この医師の診断は過剰診断(over-diagnosis)と思われるが、理論が先走り、母親に無理を押しつけている。母乳栄養の子どもの哺乳を制限することは不可能であるし、浮腫がくるような心臓病なら、逆に哺乳量が少なくなる。母乳栄養でも、浮腫ではなく体重増加が大変いい子というのはざらにいるし、診察上、心不全の徴候は全くない。心不全に陥った心室中隔欠損症の子どもの心臓が、こんなに簡単に治癒(中隔の欠損孔の閉鎖)することは考えられない。
 このケースを紹介した意味は、子育てのストレスが生じやすい子育て世代に、われわれは、できるだけ子育てを妨げる不安材料を不用意に与えないように細心の注意を払うことである。このケースでは、過剰診断により多大な育児上のストレスが課されてしまった。もちろん、伝える必要のある事実は伝えなければならないが、専門家は慎重かつ冷静に相手のこころに与える影響を十分配慮して、正しい確かな内容を伝える必要があるということの見本である。また、判断のミスがあったら、正直にその旨を親に伝えるべきであると思う。この親は危うく「この子どもは心臓病」と一生思いこむところであった。不用意な情報の提供で、育児不安を植え付けないことが大切と思う。

9)多くの専門家と協働できる柔軟性を身につけること。
 私が経験したある親子との数年にわたる発達相談の中でのつきあいについて、事例を紹介する。これは、つま先で異常歩行をする子どものケースであり、母親はその成育歴から自己肯定感が低いタイプで、成人してから頼れるパートナーに出会い、人生のうちで、もっとも自信に満ちた時代を迎えることができた。そして第1子を授かり、順調に生育していたが、2歳になる頃から歩行の異常に気づき、小児科、小児神経科を訪ね歩き、筋肉の病気、神経の病気、脳の障害などさまざまな異なった病気を疑われ、母親は育児への自信を失いかけた。私のところへ現れたのは、ちょうどこの頃である。子どもの様子をみると、運動は活発だが、つま先で走り回り、転倒することもしばしばであった。脳性麻痺のような病気ではないことは診察の結果から明らかであり、神経の病気というより整形外科的病気を考える方が説明しやすい旨を告げ、整形外科の協力を求めた(その後、この病院のPTとの間に信頼関係ができた)。
 その後、母子の関係に問題が生じ、母親と近隣のトラブルなど、ざまざまな問題が浮上してきた。子どもは聞き分けが悪く頑固な性格で、母親とは対立することがしばしばあった。母親は大声で子どもを叱って押さえつけていた様子であった。
 近隣との関係では、近隣の子どもたちに、この子の歩行の異常を指摘され、からかわれるなど子ども自身がいじめの状態におかれた。これを理由に母親も近隣に対して反発するという悪循環に陥った。近隣からの嫌がらせとも思える、再三に渡る子どもへの虐待通報が公的機関に届けられ、筆者も含め関係者(保健師、児童相談所)が遠巻きに母子を見守った。
 子どもの医学的問題が大きいことを考慮して、関係者の中から、私が信頼できる相談者の役割を果たすことにし、クライアントとの間の窓口を受け持った。幸い私との間の信頼関係が強く、面接の時間を打ち切るのに苦労するほどだった。
 歩行の異常の経過は、整形外科を受診後、徐々にではあるが改善に向かい、幼稚園でも周囲からからかわれることがなくなった。相変わらず近隣との関係は改善されなかったが、母子関係は子どもが成長するに伴い、子どもは母親の制止を受け止められるようになり著しく改善された。5歳を過ぎる頃から歩行の異常も快方に向かい、子どもは聞き分けて歩行矯正の訓練を自発的に行うようになった。母親の心理状態も明らかに安定してきて、子どもとの関係は明らかに改善された。母親の近隣との関係も傍観することによって、自己調整が可能になった。
 このケースでは、子どもの発達上の問題が基で母子関係の悪化、母子と近隣との関係に問題が生じ、一時は児童相談所も含めて母子を見守ったが、子どもの成長と歩行異常の改善の傾向が見えてきたことにより、母親の心理状態が安定し始め、家庭の危機は回避された。
 この母子相互の葛藤は、子どもと母親が変わることで解決がついたように思う。しかし、周囲からの働きかけにより変えたわけではない。まして、私の力でもない。私は単に話の聞き役であり、ときにはアドバイザーであり、感情が沸騰する母親を冷静に受け止める役柄を演じたに過ぎない。子どもは成長に伴い、自分自身をコントロールすることを覚え、他者への配慮を知り、母親を理解できるようになった。母親は子どもの足のことが何よりも心配であり、そのことが原因で近隣からいじめを受けたと思い込んでおり、子どもに責任を転嫁していたことに気づいた。さらに、子どもの異常が快方に向かっていることにより、将来治る異常であるという確信が持てたことにより、母子関係の修復が可能になったものと思われる。
  ここで言いたいことは、このケースは、多くの専門家が加わって見守りを行った例であり、このように多くの問題を抱えるケースでは、多くの専門家が関わる必要があることを示している。

<おわりに>

 結論として私が言いたいのは、専門家はクライアントのもつ不安を取り去るために、さまざまな努力をする必要があるということである。ただ科学的な事実のみを告げればいいという考えは捨てなければいけない。また、不用意な専門家の言動がクライアントに与える影響が大きいということも知ってほしい。それは知らず知らずのうちに、不安を解消するどころか、不必要な不安材料を提供していることがあるからである。
 また、ひとりの専門家が頂点になって、人を援助することは必ずしもうまくいくとは限らない。多くの関係者が協働することの大切さを知ってほしい。
 今回、医師という自分の立場を主役にして稿を進めたが、これは、子育て支援者になるすべての専門家に共通するものである。医師という文字を置き換えてご一読いただきたい。

このページの先頭に戻る